久々のブログ。
記憶が薄れないうちに記録してこうと、いきなりの更新。
2017年という年は、何とも何とも大変な事ばかり起きた年になった。
起きたというと過去形になるので、現在進行形の大変な出来事はまだまだ未解決。
ちょっと過去を思い出していた。私にとってのターニングポイントは27歳の時。あの時の切り返しがなければ今は絶対にない。もう20年も前になるんだなぁ。20年なんてあっという間ね。
そして、今年でサラリーマンを辞めて18年になった。小さな組織だとしても経営者になって18年って事になるけど、何故か最近は、サラリーマン時代のような、あの時代に感じていた昔懐かしいようなストレスに耐え難い苦痛を感じている。個人としてはこんな事に何故巻き込まれているのか理解し難いが、これも法人ミッションだから堪えるしかないのだろう。というか、耐えられてる理由はただ1つ。自分が産んだ法人のため。挫けそうになると、職員たちの笑顔が頭に浮かぶ。この子達の笑顔を守るためなら頑張らねばならないと思えるから不思議。
サラリーマン時代は毎日呪いをかけてたもんなぁ…上司に殺意しか抱かなくなって本気で呪ってたわ 笑
という可愛い自前法人も、あまりに目まぐるしく変化が起きてこれに対応するだけでお腹いっぱい。現状、法人だけは必死に守るだけに留まる。昨年のマイナスが効いてるので攻めの成長は今年は絶対無理かなぁと感じてた。
けれど、数字だけ見れば、全てにおいてとっても順調で、むしろ、お利口さん!な経営状態に復活。これぞ、V字。でも、あまりにドカンドカン事案が起きるので思考が追いつかず…。経営としては、営利2法人は共にとっても優秀。
なのに…精神的に追い詰められてる感が本当に酷い。
その大きな原因は、父の最期であろう。
改めて父の遺伝がどれだけ強いか思い知らされる。私はこの人の子供だと改めて認識する。せん妄の中に口にする事でさえ、自分の姿を重ねずにはいられない…。
でも、父の遺伝のお陰なのだろう。どんな事が起きても、どんな時も、どんな状況でも、状況分析ができるのは。父はとてもとても強くて、訳の分からない事を言いつつも、少し冷静になると状況分析をするような最期。せん妄が起きるまで、全くボケていなくて、看護師の名を全て覚えてて、誰が何時に何をしに来たかほぼ記憶していた。
けれど、実はとっても泣き虫で、感極まって泣き出す事が多くなった。父は、間も無く終わる自分の人生に何を感じるのだろう。
かと思えば、理路整然にモノ申す。むしろ、その姿に心が痛む。
歳をとったらそれなりにボケてしまう方が幸せなのかもしれない。そんじょそこらの40代より頭の回転が良いとか、何も誤魔化せない。
死に向き合うとみんな簡単に言うけれど、実際、簡単じゃないよね。私はその時が来たらボケてしまいたいと思っている。父のように強くいられる自信がない。
ちなみに、仮に、今死んでも、私はなんの後悔もない。やりたい事はやり尽くしてるからかな。心配事はあるけど、法人は、右腕の相方が守ってくれるだろうし、夫は、私がいなくなっても、きっと、他の誰かに面倒を見てもらえるに違いない。もう少し一緒に居たかったとは思うだろうし、寂しいけど、でも、過去の後悔は何もない。やり残したことも大してない 。やりきってるんだよなぁ、割と。
子供の頃は父が理解できなかったけれど、父が社長時代のマネジメントを振り返れば、気持ち悪いくらいに私は似ている。一緒に仕事をした事がないから教わった記憶はないけれど、遺伝がそうさせてるのだと思う。父も後悔のない人生だったらいいな。やり切ったと思ってくれてたらいいな。
今は父がいなくなる不安があまりにも大きい。存在、デカすぎんだよ、お父さん。
しかし、今年は本当にキツい年だ。