鎮静で眠ったまま、目を覚ます事もなく、そのまま父が永眠した。驚くくらい、寝たままの状態。丸1日以上、眠らされたまま。無論、眠ってるのではなく、DNRなのだから、ただ、心停止を待つだけの時間にしか過ぎなかったわけだけど。

寝ぼけ眼の当直医が死亡確認にやってくるまでの10分間はとても長く感じた。でも、緩和ケアの看護師さん達の気の利くケアには感動した。最後にお風呂に入れてくれて綺麗にヒゲを剃ってくれて、綺麗サッパリ、整えてくれていた。まもなく旅立つ事をわかってても、父の尊厳を守って下さった。寄り添う看護とはこういう事なのかもしれないなぁ。

しかし、緩和ケアとはどうあるべきなのか、父のように短期決戦の患者で、しっかりとした告知すらされず、そのまま鎮静を選べば、これは安楽死との定義と何が違うのか私にはよくわからなくなってきた。

父は言い残したことはないのだろうか?言いたかったことはなかったのだろうか?そんな想いが駆け巡る。

緩和ケアは、患者自身も家族も、まさに終末期で治療はできないと認識してなければならないのだが、患者であった父も、私以外の家族は、それを全く理解していなかったと言っても過言ではない。息をひきとる前の1時間、絶対、復活すると、父は回復するはず、午前1時を過ぎたら大丈夫だと非科学的なものの助言とやらを言い出す姉と兄に、私はかける言葉が見つからなかった。

現実を全く何も受け止めてない…。そもそも、緩和ケアを理解しようとしてなかったのだと思い知った。頻繁に祈りにいく時間があったならば、父との会話を待つ時間にしたらこんな風に後悔なんてしないだろうに。なのに、スピリチュアル的な何かに傾倒してしまう、非科学の恐ろしさも同時に目の当たりにした気がする。

一年くらい前から急激に弱ってきた父に、私は、後悔しないようにやれる事をやろうと決め、仕事の合間に父との時間を持つように極力努力をしてきた。父が大好きな夫にも協力してもらい、何度も実家に行ってもらった。

仕事の話もしたけれど、まぁ、最後まで救命士制度のことは理解してはもらえなかったなぁ…。4日前の土曜日、突然、立憲民主党をどう思うか?憲法改定について考えを述べろと、まるで、試験をされてるように問われた。せん妄かも知れないけど、正気であろう事を前提に、立憲民主党の事は、正直、語れるほど材料がないので、保守とリベラルに対する考えと、それに合わせて、改憲について自分なりの考えを述べると、じっと目を瞑ってきいてた父が目を開けて「なかなか良い考えだな。賢明な意見だ」と言って、また眠ってしまった。

思い出話ではなく、政治の話が長く交わした会話の最後となった。父と娘の会話とは思えない…

最後の週末となった日曜日…

夕方、母を連れて帰るね。と、言うと。「ちょっと待て、慌てるな!そこは慌ててはならない」と引き止められた。しばらく眠ってしまい、また目が覚めた時、「タカシくんはいつきてくれるんだ?」と聞いてきた。「明日、来てくれるよ?」と言うと、「スケジュールを教えてほしい。いつ来てくれるのか、予定が知りたい。タカシくんにただただ会いたい」と涙ぐんだ。

母が、私を唯一褒めるとすれば夫を選んだ事だ。というと、「それだけは唯一認める」と憎まれ口を叩いた。

「子供たちが待ってるから、そろそろ、お母さん連れて帰るよ」

「うん、よろしく頼んだよ」

「明日から出張行くから週末までこれないけど、、、ちゃんと食べてね。タカシにひやむぎ作ってとお願いしとくからね」

うんうんと頷いて、少し辛そうに言葉もなく手を振ってくれた。

私が見た起きてる父の最後の姿。

実家に母を送った後、1人、嗚咽するほど泣いて帰った。しこたま泣いた。ワンワン泣いた。運転しながら前が見えないくらいに泣いた。私なりのサヨナラをしてきたつもりだった。

そして、出張に出た月曜の夜から疼痛がひどくなり、火曜日の昼前にセデーションを実施したとの事で、兄から帰ってくるように言われたのは、火曜日の夕方、院内会議の準備をしてる時だった。水曜の朝、その会議を終えてから東京に帰った。

父が永遠の眠りにつく時、とても冷静な自分がいて、涙はほとんど出なかったなぁ…。不思議だった。本当にお疲れ様でした。本当にありがとうございました。お父さん、またね!と言葉が自然に出てきた。

私が天に行く時、父がきっと私の仕事の総評価をするであろう。仕事だけではない、生き方を厳しく評価するのだと思う。夫をぞんざいに扱おうもんなら、神様ではなく父から怒鳴られるんだろうな…。

去年 2016年の春の頃… 2017年はこんな年になると、部下に話してた。最悪、父を亡くすんだろうと思う、と。

でも、だからこそ、できる限りをやってこれたのだと思う。あのハワイ旅行は永遠の思い出となり、ハワイで食べた私の焼いたステーキが食べたいと最後まで言い続けてくれた。

もし…

人生の最期が決まっていたら、何をしてあげられるか…

実際は普通の生活に戻らせてあげたい。ただそれだけを願うものなのかもしれない。少なくとも私はただそれだけを願った。数時間でもいい、いつも父が座っていた椅子に帰らせてあげたいと。

私のお誕生日、私達の結婚記念日に、敗血症で救急搬送されてから一度もお家に帰れなかったのはどれだけ心残りだろ…。それだけが悔やまれる。

長いようで短かった父の最期の55日。

本当、お疲れ様でした。

お父さん、本当にありがとう。

またね!